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女川町編

宮城県の東、牡鹿半島の付け根に女川町はあります。太平洋に突き出たこの半島は、リアス式海岸と言われる入り組んだ海岸で、高台からは群青の波が放つ煌めきを一望することができます。この地形の特徴を生かしてカキやホタテ・ホヤ・銀鮭の養殖業が盛んに行われており、近くには世界三大漁場の一つとされている金華山沖漁場があることから海に恵まれた町と言われてきました。

女川湾

ウミネコが羽ばたく女川駅

平成23年3月11日の東日本大震災の際には高さ20mもの津波に襲われ、町の建造物の7割が流され、当時の人口の約1割の方が命を失う結果となりました。前例のない災害に見舞われたこの町は今では観光客で賑わう港町として、活気を取り戻しつつあります。
取材当日は電車を利用して女川町に訪れました。電車を降りるとウミネコが羽ばたく姿をイメージしたという屋根が特徴的な、女川駅が出迎えてくれました。2階には「女川温泉ゆぽっぽ」を併設しており、女川温泉源泉を気軽に楽しむことができます。
改札を抜けると、女川湾までまっすぐとのびた道の両側に商業施設が建ち並ぶ「シ―パルピア女川」が見えます。ここでは、地元の食材を使った料理が堪能できるのはもちろん、女川町オリジナルの小物などを購入することができます。週末には様々なイベントが開催され、多くの人が買い物や飲食を楽しみます。

女川駅

女川湾と「いのちの石碑」

女川町に降り立った私はさっそく、女川湾が見渡せるという絶景ポイントの大六天山駐車場に向かうことにしました。駅から車で約15分の場所にあり、そこまでの道は「コバルトライン」という有名なドライブコースで、青い空と山々に茂る木々の緑、輝く海を感じながら運転を楽しむことができます。駐車場までの道中、私はある石碑に立ち寄りました。「女川いのちの石碑」は、東日本大震災によって被災した女川の中学生たちが、1000年後の命を守る為に建てた石碑です。道の傍らにひっそりと建つ「女川いのちの石碑」と記されたその石碑には、これから生まれてくる人たちに震災の時に経験した悲しみ苦しみを味わわせたくないという願いと共に、建てることになった経緯が記されていました。なかでも他の文章よりも濃く、深く刻まれている碑文が、今でも印象に残っています。内容は以下のとおりです。

『ここは、津波が到達した地点なので、絶対に移動させないでください。もし、大きな地震が来たら、この石碑よりも上へ逃げてください。逃げない人がいても、無理矢理にでも連れ出してください。家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください。』

命を守る為に当時の中学生たちが考えたメッセージです。118文字で構成された短い文章ですが、簡潔だからこそ訴えかけてくる彼らの強い想いが心に響きました。

いのちの石碑

女川町、夏の名物「女川冷や中」をいただきました!

大六天山駐車場から女川湾を見渡した後は、女川町の味覚を堪能しました。
港町ということもあり、新鮮な海の幸を味わうことができます。夏の間は、女川町特産のホヤやわかめといった魚介類がふんだんに使われた女川冷やし中華を「味の館金華楼」にていただきました。
薄焼き卵にトマトとキュウリ、そして紅しょうが。冷やし中華に欠かせない具材はもちろん、わかめやホタテ、海老、甲羅付きのホヤ、袋状のホヤにたまごを入れた“ホヤたまご”が乗った女川町ならではの冷やし中華は磯の香りがする食べ応えのある一品です。
中でもホヤは海そのものを食べているような不思議な味でした。独特の味や見た目で、好き嫌いが分かれると言われているホヤですが、酸味の効いた冷やし中華のスープと一緒に食べるとその独特の風味が料理のアクセントとなり、美味しくいただくことができました。

女川冷や中

海と共に生きる美しく豊かな町、女川町。東日本大震災では、この美しい町が津波により一瞬にして土砂と瓦礫の下に埋もれてしまいました。しかし、私が訪れた女川町は、その経験を風化させることなく、海の町としてより一層の魅力を増して見事に復興を遂げていました。それは町に生きる人々の強さと、多くの方々の支援によってなされたものだと、取材をしていくなかで感じることができました。

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