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白石市編

白石市は県南部に位置し、宮城県と山形県にまたがる蔵王連峰の麓にあります。
伊達政宗の重臣として今もなお人気を集める武将、片倉小十郎景綱の居城であった「白石城」にはじまり、片倉家にゆかりのある歴史的建造物が多く残っています。また、四季ごとに表情をかえる街の風景は自然が豊かな証拠です。郊外には森林や渓谷、スキー場から温泉地まで、訪れた人々の心と体を癒す場所や施設が充実しています。

白石城と桜(提供:白石市)

名将、片倉小十郎の居城“白石城”に訪れました!

白石市の中心部にある“白石城”、別名益岡城(桝岡城)は、慶長五年(1600)関ヶ原合戦の直前に伊達政宗が攻略し、家臣であった片倉小十郎が大規模な改修を行い、その後、約260年もの間片倉家の居城となりました。
白石城は明治七年(1874)に一度解体されていますが、平成七年(1995)に復元され、日本古来の建築様式を取り入れた純木造りの、重みのある堅固な姿を現代に現しました。取材に訪れた日は天候に恵まれており、太陽の光が城壁の漆喰を白く輝かせていました。さっそく中に入って驚いたのは、その構造でした。敵が侵入してきた時に、城を守る工夫が随所に散りばめられており、当時“城”というものがいかに実用性を求められていたかを肌身で感じました。また、甲冑を無料で装備することができるので、身も心も武士(もののふ)になりたい方には是非体験していただきたいです!
荘厳な雰囲気だけではなく優美さも兼ね備えた城は、まさに歴史ロマンに溢れていました。

白石城

心を温め、カラダに優しい、白石が生んだヘルシー郷土食“白石温麺”!

温麺(うーめん)の起源は400年前に遡ります。白石城下で暮らしていた鈴木味右エ門の父親が胃を病み、なにも食べられずにいました。何か良い食べ物は無いかと探したところ、油を一切使わない製麺方法を旅の僧侶から教わりました。さっそく麺を作って父親に食べさせたところすぐに全快したそうです。その話を聞いた当時のお殿様が、温かい親孝行のエピソードを称賛し、その麺を“温麺”と名付けたそうです。
地元の人にはもちろん、観光客にも人気の白石を代表する郷土食の温麺を“白石うーめん やまぶき亭”にて、料理長オススメの二品をいただきました。
一つは“うーめん三昧”、三種類のつけだれでいただく温麺です。麺は舌触りがよく、食べやすい長さだったため、ついつい箸が進んでしまいました。くるみのつけだれは濃厚で甘みがあり、思わずそのままくるみだれだけで食べてしまいそうになる程クセになるお味でした。黒ゴマだれは甘みの中にゴマならではの深みのある香ばしさが絶妙なたれでした。次にいただいたのは特に寒い季節にオススメという、“きのこのおくずかけ”です。きのこがふんだんに使われたあんかけのつゆが体を芯から温めてくれます。肉厚のなめこは天然のもので、食べ応え抜群!ほんのり柚子が効いたとろみのあるつゆは、優しい舌触りの温麺によく合います。まさに、温麺の今に伝わる物語を再現したかのような温もりに溢れた一杯でした。

うーめん三昧

きのこのおくずかけ

片倉家の菩提寺、傑山寺へ!

片倉小十郎景綱が慶長十三年(1608)に片倉家の菩提寺として傑山寺(けっさんじ)を創建したとされています。本堂の正面には、文化功労章を受章した中村晋也氏によって建立された銅像があります。銅像の姿は威厳に溢れ、景綱公の人柄や風格を見事に表現していました。また、本堂の裏手には片倉小十郎の墓標として植えられた一本杉があり、今も成長を続けています。
傑山寺に限らず、白石の街の至る所で、片倉家にまつわる歴史的な建物や場所を目にしました。こうして400年以上経った今も、私のように、この地を訪れる人が“歴史の跡”を目の当たりにできるのは、白石の人々の歴史を重んじる心があるからこそだと感じました。

片倉小十郎像

 

最後に、「白石城と桜」写真をご提供下さいました白石市商工観光課さま、美しいお写真をありがとうございました!

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